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2017年7月

不発行10円洋銀貨幣について

不発行10円洋銀貨幣について

 

1.はじめに

 

現在流通されている10円青銅貨の手変わり収集をするにつれ、また分類を自分なりに調べていくうちにどうしても10円貨幣の歴史が必要だということが分かった。収集誌19833月号に「表紙説明 不発行洋銀10円」として紹介されているがおよそ30年経ち入手困難なことと、様々な資料・文献が絶版や品切れになっているため改めて説明する。内容に関しては、すでに承知な方が多いと思いますがご容赦いただきたい。

 

今回は朝鮮戦争の勃発のためニッケル相場が高騰したため不発行になり市中に出なかった10円洋銀貨について取り上げる。日本銀行調査局編『図録日本の貨幣9』東洋経済新報社、郡司勇夫『日本貨幣図鑑』東洋経済新報社、大蔵省造幣局『造幣局100年史』、青山礼志編『新訂 貨幣手帳』他の資料に類似している点が多いということをお許しください。

 

2.戦後のハイパーインフレーションの収束と24年度のドッジ・ライン強行実施

 

第二次世界大戦直後の数年間は、戦争による生産力の破壊と外地からの引き揚げ等による人口の急増などの諸要因により急激なインフレーションに遭遇した。しかし、終戦特有の急激なインフレーションは、昭和24年頃を境にして小康状態になった。それは231218日にGHQが経済安定9原則を発表し、予算均衡・徴税強化等を指示したことを基本として経済は安定化した。さらに、242月にはデトロイト銀行頭取ジョセフ・M・ドッジが公使兼GHQ財政金融顧問として来日し、いわゆるドッジ・ラインが実施されるようになった。ドッジ・ラインは、24年度の予算を超均衡予算に編成し、かつ単一レートを設定して、アメリカからの援助と国内補助金を切り捨て、インフレを克服して日本経済の自立を達成しようとするものであった。ドッジ・ラインの実施や朝鮮戦争の勃発による活動水準などによるものである。

 

ドッジ・ラインが実施された結果、高進を続けてきたインフレは沈静化に向かったが、一方、産業界は一時深刻な不況に見舞われた。復興金融国庫から放出される資金は途絶え、財政の需要は抑制され、税の徴収は厳しくなり、有効需要は伸び悩んだ。企業は大幅な人員整理を行い、またコスト切り下げを行ってこれに対処した。

この年、ドッジ・ライン実施による不況、物価上昇は終わり安定恐慌になる。すなわち消費者物価指数(CPI)は前年比8%も下落し25年度は16%も下落した。

 

昭和24415日、ドッジ公使は昭和24年度の予算案について超均衡予算の実施、補給金の廃止など健全財政主義の徹底を強調した。この計画の中で戦後の国民生活、経済復興を経済再建に効果的に振り向けるための対日援助見返資金が設けられた。また、GHQはインフレ経済の終始を前提として、1ドル=360円の単一為替レートが設定され、世界経済体制への復帰の方向が定められた。

 

 

3経済安定9原則を基調として経済は安定に向かう

 

231218日、経済安定9原則を基調とする経済の安定に伴い、10円以下の通貨はすべて補助貨幣に代え、通貨体系を整備するという方針の下に、昭和25年(1950年)、「臨時通貨法」を改正して十円貨を追加した。素材は洋銀(銅・ニッケル・亜鉛の合金)としたが、同年の朝鮮戦争勃発によりニッケルの輸入が困難となり、国内のニッケル価格が急騰して洋銀地金の入手が不可能になった。そのため、一般に告示されながら十円洋銀貨幣はついに発行されなかった。

 

A10円券を置き換える目的で10円洋銀貨の製造に入る

 

『造幣局百年史』によると、「昭和241228日には日本銀行券B1,000円券が制定され(大蔵省告示第1048号)昭和2517日から発行され、昭和21年(1946217日制定の日本銀行券A十円券が硬貨に置き換えられることになった。

 

10円貨幣については戦前の白銅貨に匹敵するものを製造することとし、素材は各国でもあまり例のない洋銀」(German silver)を選び、昭和2410月連合国総司令部から10億枚の製造許可を得、昭和2532日に臨時通貨法を改正(法律第3号)10円臨時補助貨幣制定3月臨時通貨。昭和25年32日、10円臨時補助貨幣の形式制定(政令第26号)も公布された。

 

『図録 日本の貨幣9』を要約すると、10円洋銀貨の素材には戦前の白銅貨と同様に銅・ニッケルを含む洋銀(洋白ともいう)が選ばれたが、ニッケルは海外資源に依存しなければならなかったために加えて造幣局の手持分も少なかったので、素材節約の必要上、耐食性を損じない程度の1618%にニッケルを抑え、銅5560%、亜鉛2922%の組成にしたうえで、量目20.00g、直径20.00ミリ、孔径5.00ミリ、厚さ(参考)1.36ミリとし偽造防止も兼ねて有孔とした。

 

備考:表は銘価を中央に縦書きとし孔の両側に茶の木を配し、裏は上に國名、下に年号、孔の周囲に幾何学的曲線(鉄線模様・六角形模様)を配した。

Img_0689

(Wikipediaより引用)

 

小額紙幣のA10円券は表面左右の意匠は「米」「国」をかたどっているなどと全く根拠のないうわさがあり、287月には衆議院においてもこれが取り上げられ、10円券の補助貨幣切り換えを促進する一因となった。新しい高額面の補助貨幣10円洋銀貨がこれで、2410月にGHQの許可を得て、25313日から製造が開始された。製造期間とは圧印作業開始日から検査作業の最終日をいう。

 

『図録日本の貨幣9』を要約すると、銀行券の特徴は、25年から銀行券もA券に代わってB券が発行されることとなり、その際、新たに千円・五百円の高額券が初めて発行され、十円以下の少額券が発行されなくなったことである。これはインフレ高進の結果、高額券が必要となってきたこと、および高額券の発行によってインフレ心理が再燃する懸念がもはやなくなったと判断されたためであり、さらに、インフレによって通貨価値が下落し、十円以下の小額通貨は補助貨によるほうが適当と考えられた。そこで政府は、十円も補助貨に転換することとし、253月から十円洋銀貨の製造を開始した。

 

2324年当時のA10円券発行残高はほぼ100億円強の水準を維持していたので、これに代わる10円洋銀貨は、当初、25年から3年間に100億円(10億枚、うち初年度6億枚、2年度3億枚)を製造する計画であった。ところが、製造開始後間もない25625日に朝鮮戦争が勃発し、ニッケルの地金相場が急騰したため、もともと軍需の多いニッケル地金は入手困難になり、造幣局手持資材のみでは2年度の製造枚数は当初計画の半分以下の1.4億枚しか見込めないという窮地に陥った。そこでやむを得ず、製造計画全体を76640万枚に縮小したが、その後も事態は改善せず、26531日にニッケル使用制限規則(通商産業省令第35号)が公布されたため、同年817日に洋銀貨幣の製造を打ち切ることになった。この時までの製造高は746474581枚にとどまった。

 

『造幣局百年史』によると、「この朝鮮戦争によって、造幣局で製造中の洋銀貨幣の素材の一部を占めるニッケルが軍需資材としての需要を増し、相場の上昇を示し、昭和26531日にはニッケル等使用制限規則が制定され(通産省令第35号)第2条で8%以上のニッケルを含む洋銀の使用も制限されるようになったので、当初3か年で10億枚を製造する計画であったものを746474000枚に変更し、昭和268月をもって製造を打ち切ることになったが、朝鮮戦争の戦局に伴う国内事情から遂に1枚も発行されなかった。」と記載されている。

 

ところで製造計画全体の縮小・変更した枚数が大蔵省造幣局『造幣局100年史』では746474000であり、日本銀行調査局「図録日本の貨幣9」の76640万枚と異なっているがどちらが真実なのか定かでないが実質製造枚数746474581に近い『造幣局百年史』の記述が正しいのではないだろうか。

 

 

洋銀貨幣を発行した外国の例では、ベルギー、ポルトガル、エルサルバドルに見られる程度で極めて少ない。だいたい洋銀は白銅のニッケルの一部を亜鉛に置き換えたもので通常、装飾器具、家庭器具、精密機械及び計器用のバネ材として用いられている。洋銀貨幣は製造で最も問題となったのはわが国では産出しないニッケルの供給が円滑に運ぶかどうかであった。

 

そこで極力資材の確保に努め、造幣局保有の純ニッケル、白銅貨幣鋳潰地金などのほか硫酸ニッケルを購入して電解精製したり(25.29 洋銀貨幣材を補うためニッケル電解精製作業開始)、スクラップを買い集めこれを分析して品位を明らかにして配合に努力するなど、種々苦心を重ねた結果昭和25年から製造を開始した。有孔としたのは素材使用量の節減と偽造防止の見地からである。出来栄えは満足に値するものであったが、昭和24年当時の10円日本銀行券の流通高は1139,477万円に上っていたので、10円洋銀貨幣を徐々に発行すると物珍しさも手伝い退蔵される恐れがあったので相当の製造量に達したうえで発行するのが良いという日本銀行側の見地から製造済み貨幣はすべて造幣局で保管することになった。

 

製造分746,476,000枚はそのまま造幣局で保管されていたが昭和2610月に経済安定本部から大蔵省から造幣庁に対し、洋銀貨のニッケル地金を産業界(民需)に払い下げるよう要請があり、112日、大蔵省に対し洋銀貨の溶解(鋳潰)を指示した。溶解された地金から、ニッケル約350トンは主要産業に払い下げられ、かつ青銅をもって10円補助貨幣を製造するようにと正式に通知してきた。そして26年度の臨時補助貨幣製造予定高は5円黄銅貨幣16000万枚、10円青銅貨幣26,000万枚に変更、27年度は十円青銅貨幣52,000万枚の製造予定とすべく旨の指令を受けた。

 

.銀貨用図案を流用の十円貨

 

造幣庁ではかねてから10円洋銀貨幣の製造ができなくなった場合の用意に新しい10円貨幣の形式、素材、図柄などについて研究を進めていたが、結局資材面から青銅貨を適当であると認めたのである。かつての1銭青銅貨幣に近い素材で10円青銅貨幣を発行することになり、26年から製造が開始された。新10円青銅貨幣の形式は品位銅950、亜鉛4030、錫1020、直径23.5ミリ、量目4.5g、厚さ(参考)1.50ミリで表模様は平安時代の代表的な寺院建築の一つである宇治の平等院鳳凰堂を表したものである。10円青銅貨幣は26年度245,624,393枚、27年度4月中に43,616,347枚計288,640,740枚をすでに製造している。

 

 銅1262トンは次に述べる10円青銅貨の製造に充てられたが、形式が制定され、大量に製造されながら発行されなかったのは明治4年以来今日に至るまで、この10円洋銀貨のみである。(1

 (1)大正75月制定の八咫烏50銭・10銭銀貨に、それぞれ数千万製造されながら流通市場には出さなかったが、一応日本銀行に引き渡されているので、形式的には発行されたことになる。

 

『造幣局百年史』、郡司『日本貨幣図鑑』の746474581枚に比べ、日本銀行調査局編『図録 日本の貨幣9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、日本貨幣商協協同組合「日本の貨幣-収集の手引き‐」によると、製造分746,476,000万枚となっており定かでないが『造幣局百年史 資料編』の数値とは食い違いが見られるためどちらが正しいかは分からない。製造途中の段階の枚数なのかもしれないが、次に述べるように25年度と26年度の製造完了の貨幣は合計すると実質製造枚数は746474581枚となるのでこちらが正しいのではないだろうか。

 

 

 

10円洋銀貨幣は大阪の造幣庁本局、広島支局で製造される。

 

最も信頼の有る『造幣局百年史 資料編』によると、年度別・局別貨幣製造高の箇所に記載がされている。

 

                   
 

昭和25年度

 
 

昭和2541日から昭和26331

 
 

596,459,586

 
 

大阪本局 497,446,732

 
 

広島支局 129,012,854

 
 

昭和26年度

 
 

昭和2641日から昭和27331

 
 

150,014,995

 
 

大阪本局 130,013,000

 
 

広島支局 

 

20,001995枚

 

 

両者を合計すると製造枚数は746474581枚となり、実質製造枚数になる。

 

 

参考までに、洋銀貨製造技術上の問題点を見てみると、素材をスクラップに依存したため、鉄、マンガン、鉛などの不純物を除去して規定の品位にする必要があり、同じくスクラップしようとはいえ黄銅貨とは比較にならない困難があった。しかも、不純物を完全には除去できなかったので、材質が硬くなって圧延の際に割れ目を生じたり、鋳棒に気泡が入ったり、その後の圧窄(あっさく作業でも不合格品が出るなど、製造工程の最後まで難渋したと言われている。(3)

 

(3)もともと洋銀は熱間圧延性が悪く、大量製造に適さない金属であるため、高額補助貨向きの色相・光沢を有しながら、諸外国でもその採用例は少ない。僅かに、ベルギー・ポルトガルなどで見られるに過ぎない。

 

.供試貨幣

供試貨幣は造幣庁長官第77年報書(昭和25年度)、造幣庁長官第78年報書(昭和26年度)より74,581枚となっている。日本銀行金融研究所貨幣博物館に10円洋銀貨は展示されているためすべてが溶解もしくは鋳潰されたわけではないことが分かる。なぜ収集界に存在するのか理解に苦しむ。

 

『造幣100年』によると、「発行高とは、造幣局から日本銀行へ引き渡された貨幣の数量および金額を言い、製造高とは、発行高と貨幣大試験用供試貨幣を含めたもので、発行高よりはやや多い。通常、供試貨幣は大試験が終わると再溶解される」。

 

 

.十円青銅貨(2612月制定)

 

十円洋銀貨の発行計画放棄後、十円通貨の需要増大が見られたため、A十円券の増刷(当初の計画比5割増し)およびB五十円券の新規発行(2612月)が実施され、通貨の補助貨幣化は一時後退を余儀なくされた。しかし、このような状態を長く続けるわけにはいかず、二十六年八月、A十円券の発行残高116億円をカバーするに足る120億円、12億枚の十円補助貨を同年度から3年間に製造する当初の計画が策定された。素材金属については造幣局でも早くから研究していたが結局、青銅に落ち着いた。青銅合金の95%を占める銅の所要量約5700トンの確保に関して、造幣局保管分2250トン、洋銀貨溶解分1262トン、黄銅貨回収分788トン、経済安定本部割当約1400トンなど、目途が付けやすかったからである。

 

このようにして、十円青銅貨は2610月から3312月までの間に1773百万枚製造され、2815日日本銀行窓口から支払いが開始された。

 

昭和26年になってから十円貨の素材については再検討が行われ、青銅貨とすることにして、同年127日(第372号)制定「1951年(昭和26年)127日政令第372号「十円の臨時補助貨幣の形式等に関する政令の一部を改正する政令」されることとなった。新制定のものは表面宇治平等鳳凰堂に唐草、裏面は月桂樹の抱き合わせ(常盤木)、洋銀貨では付けられなかったが、側面にキザミ(ギザ)が付けられた。縁にギザがついている(ギザ十と呼ばれる)。この貨幣のギザの数は132個である。昭和28年当時、ギザは硬貨の周囲を磨き取られることを防ぐためのもので、識別ミスを防ぐ意味からも最高額面の硬貨に付けるのが慣わしであった。

 

当時の十円の日本銀行券は大量の流通量であったが、青銅貨を全国一斉に同時発行し、可及的迅速に銀行券と交換し、並行時期をなるべく短くするという方針を立て、制定後製造開始から発行にいたる期間を長くし一挙に交換ということにし、昭和2815日から流通が開始された。したがって記年は昭和26年からあるが、発行は昭和28年からという、前例のないやり方であった。

 

.高額貨用の極印が流用されたという十円貨「平等院50円銀貨(現行10円青銅貨と同様のデザイン、現存不明)」

 

今日も引き継がれている宇治平等院鳳凰堂の図案は、実は将来製造することになるであろう五十円銀貨のために作成されたもので、銀を予想していたため、非常に細かい線で構成されており、屋根の上、左右に配されている鳳凰の雌雄まで区別されている。それから貨幣に美観をもたらす要素の一つである衣装、これは模様のことだが、元造幣局長の太田満男氏が次のような寄稿を行っている。「十円貨幣の図案は当初、高額貨(地金は銀)を予定して作られたものが、急に変更の必要性が生じて流用されたと聞いている。したがって、模様を構成する線は非常に細かく、屋根の雌雄の別(?)がはっきりわかるぐらいに芸の細かいものである。」(石原幸一郎『日本貨幣収集事典』原点社、2003年、264265頁)。

 

ちなみに鳳凰は雄を鳳といい、雌を凰という。50円銀貨が実現しなかった今日となってみると、十円貨幣の突然の改定が幸いして、この芸の細かい模様を目にできるわけである。なお、当初の十円青銅貨はギザ縁で、昭和34年の改定でプレーン・エッジ(平縁)に変更された。

 

 

『新訂 貨幣手帳』222頁やボナンザが廃刊になり著作権を引き継いだ 石原幸一郎『日本貨幣収集事典』原点社、257頁、写真記録 日本貨幣史』日本ブックエース、写真記録刊行会編では、十円青銅貨が市中に流通された日時について製造開始後約1年を経た昭和279月と記載されているが誤植であり、正しくは昭和2815日である。筆者は当時の新聞を図書館で調べてみたり、造幣局や日本銀行に問い合わせてみたので間違いはない。

 

表面鳳凰堂の屋根の両端にある鳳凰の尾翼の形が実際と異なっているのが発行後問題となり、記年27年の後半製造分から原型が修正された。ここにはじめて10円青銅貨の手変わりが見られる。本貨の交換は極めて順調で日本銀行は十円銀行券を発行後23か月の昭和30年41日、支払い停止とすることができたのである。かくて十円以下を補助貨とする通貨体制がようやく成るに至ったのである。

 

なお、前述の五円黄銅貨と十円洋銀貨は昭和244月新定の「当用漢字字体表」により、「國」字は「国」とすべきであったが、原型が出来上がっていたため、旧字体に依っている。昭和26年制定の十円青銅貨からは「国」字となっている(郡司勇夫編『日本貨幣図鑑』東洋経済新報社、1981年、265頁)。

 

昭和26年銘の10円青銅貨幣には金属分析をしてみたところごく微量だが金が混入していることが分かる。噂が本当であった事例で、当時まだ貨幣資材にスクラップを使っていたために起こった珍事であった(青山『新訂 貨幣手帳』ボナンザ、1982年、222頁)

 

10.おわりに

 

次回からはいよいよ10円青銅貨(通常貨・プルーフ)に分けた手変わり分類について説明する。特に表面の「宇治平等院鳳凰堂」の各部の名称と手変わりについて着目し、分類した。昭和27年前期後期は鳳凰の形状について詳しく説明したい。特に今回少しだけ取り上げた昭和27年前期の雄型鳳凰と後期の雄型鳳凰などについても写真入りで紹介するつもりである。また世界遺産登録された宇治平等院鳳凰堂の各部の名称を決めるにあたり公式ホームページでの実際の名称と貨幣にした時の名称が異なっているということで非常に悩ませた。明治・大正時代に製造された1円銀貨や50銭銀貨などの近代貨幣の略した名称に倣った。平等院ミュージアム鳳翔館学芸員に伺ったことにより正確な回答も得られたので紹介したい。岩波書店から出ている『平等院大観』の建築編が昭和修理後となりますが鳳凰堂について一番詳しい書籍となります。図書館などで参照してみてはいかがでしょうか。

 

​ちなみに昭和25年から昭和32年まで鳳凰堂は大修理を行っています。修理中に10円硬貨が発行されました。つまり10円硬貨の姿は昭和修理前の姿です。​

 

昭和61年後期と昭和62年プルーフ(2種類)に関しての手変わりの関係も新たに発見したので報告したい。これは「日本貨幣カタログ」に掲載されている昭和61年前期・後期の比較の図と着眼点が一箇所加わったことが新しい分類方法である。

 

また、1円と5円試鋳貨 宇治平等院鳳凰堂の青銅貨についても写真説明したい。

 

 

主要参考文献

 

造幣局泉友会『造幣100年』大蔵省造幣局、 1971年。

大蔵省造幣局『造幣局80年史』1953年。

大蔵省造幣局『造幣局90年史』1963年。

 

大蔵省造幣局『造幣局100年史 資料編』1974年。

大蔵省造幣局『造幣局100年史』1976年。

大蔵省造幣局『造幣局125年史』1997年。

 

日本銀行調査局編『図録日本の貨幣9』東洋経済新報社、1975年。

郡司 勇夫『日本貨幣図鑑』東洋経済新報社、1981年。

大蔵省理財局国庫課長 松尾良彦監修『日本のお金-近代通貨ハンドブック』1994年。

造幣局泉友会編『コインの歴史』創元社、1984年。

 

青山礼志編『新訂 貨幣手帳』ボナンザ、1982年。

石原幸一郎『日本貨幣収集事典』原点社、2003年、264265頁。

写真記録刊行会編『写真記録 日本貨幣史』日本ブックエース、2012年、171頁。

 

湯本豪一『図説・円と日本経済‐幕末から平成まで‐』図書刊行会、2010年、203頁。

小島恒久『日本経済の流れ』河出書房新社、1973年。

 

稲毛満春『マクロ経済学入門』有斐閣新書、1977年。

肥後和夫『財政学要論 第4版』有斐閣双書、1993年。

 

日本貨幣商協同組合『日本の貨幣-収集の手引き』1998年。

日本貨幣商協同組合『日本貨幣カタログ20172016年。

書信館出版『収集』。

 

茨城県立図書館

水戸市立図書館

茨城大学図書館

 

 

 

2017 CCF 続き

昨日、品川プリンスホテル メインタワー19階で即売会があり参加してきました。低額品コーナーの第一弾を終えると、日郵コインで10円の稀少手変わりを購入する。昭和63年 Ce 前期 2枚、平成11年 Cj 1枚。未使用、ミント出しとみたほうが正しいようです。


次に、書信館出版株式会社のブースに行き稲100円銀貨の稀少手変わり 昭和40年 粗稲穂 短いヒゲ が15000円で売られていました。尋ねると「こちらでは近代貨幣研究会より委託されたものを販売しているだけで磨きがあるかどうかまでは分かりかねます。明日、研究会がありそこで」といういかにも出版社の社員という立派な回答でした。


もう一つの昭和39年 裏写りエラー 10000円 は完売していました。隣で稲百円へゲエラーを3枚くらい購入された年配者がいました。その人がいわく、「こういうところはすべてがクリーニングしてあるとみたほうがいい」と言われ粗稲穂は遠慮してしまいました。これが数字が付く未使用であれば購入したかもしれない。確かに、短いヒゲでした。初めて見ました。


ミントミントオークションで下見をし、南鐐コインスタンプで昭和45年Bd、46年Ac が大量にあることを見る。昭和46年だけ4枚購入。完全未使用、未使用、極美などの状態表示は間違っています。少し下げたほうがいいです。次回、昭和52年から昭和63年、平成のコインを整理してきてくださるという返事を頂く。嘘でもうれしい。


ヴァンガードコインで平成14年 Cl を100円で購入、1枚。

以上はいずれも稀少価値の高いもので購入する価値があります。

野崎コインで昭和61年前期 Ce を200円で購入。平等院側の階段に当たり傷があります。完全未使用ではありません。会場では気が付かなかった。



低額品コーナーではそのほかにも購入したものがあります。
平成7年Cg 
平成14年Cm
これらは非常に多く見られるもので未使用というだけです。大勢の人が群がっており、拡大鏡を使うスペースがないに等しかったためあきらめが付く。

低額品コーナーでは2回目で追加・購入しました。このスラブコインは同じ人が出品したものでよくこれだけ揃っているなと感心しました。

昭和47年 NGC MS65RD 2600円ヤフオクの落札相場の半値。鑑定料、保険より安い。
昭和47年 NGC MS65RD 2600円ヤフオクの落札相場の半値。鑑定料、保険より安い。 


2020 東京オリンピック記念貨幣が30種類発行されることに備えて資金を今から作っておく人も非常に多いと思う。


スラブは昭和49年まででミントセット、貨幣セットの発行された昭和50年以降は除きます。ただし、稀少な手変わりを見つけた場合はその限りではありません。


書信館出版より無償の外国コインを頂く。200円の割引券を使い『収集』誌2017年8月号を400円で購入する。収集誌は一冊600円でしたが書籍は割り引いていない様子でした。南鐐の近代銭の手変わりの書籍が見当たらず購入を見送る。今回は使いましたが稲の100円銀貨粗稲穂 短いヒゲ 15000円 を購入するべきだったか、後で値上がりしないか稀少価値の高いものになるのではないだろうか、収集分野を広げるとすべての手変わりを集められなくなります。


また、低額品コーナーで野口 ZZ-Z(黒字) 券が折り目少し有り の状態で1500円でした。迷いましたがよく考えその場を離れました。研究会ならいくらで入手できるかなどが基準です。1000円‐1100円程度ではないだろうかと思います。ちなみに鑑定コーナーで昭和33年10円の買い取り価格を見ると、わずか20円でした。かなり人気がなくなりました。


帰りは、明日のCCFオークションの下見をしました。品川の吉野家港南店にて豪華な食事をする。Line割引50円、Tポイントを付与してもらう。満足する。


次回、催事の開催は2017年9月1日(金) 12:00~18時
                 9月2日(土) 10時~18時
                 9月3日(日) 10時~16時
第26回TOKYOコレクションフェア2017
「コイン・切手・テレカ大即売会」
会場:有楽町 東京交通会館12階 ダイヤモンドホール
主催:いずみ会

2017 CCF

品川プリンスホテル メインタワー19階で今日から2日間開催されているコインコレクションフェアーに行ってきました。即売会が始まる11時に行きましたが、書籍と低額品で200円引きの割引券をもらうためアンケートを受付で書き少し遅れました。


会場と同時に入場すれば低額品コーナーに並ぶ必要はなく初めから選べたと思える。タッチの差で少し待つことになる。かなり脇から無理に入り込んだためコレクターには迷惑をかけた。しかし、もはやこれ以上は待てず時間は過ぎていくばかり。


そういうわけで今日のものは、スラブ品が出品されていましたが、1円玉と100円銀貨のヘアラインは売れていませんでした。もう少し早ければ良いものに出会えたかもしれない。


昭和42年NGC MS65RD 3000円。これが最もお買い得だった。
昭和46年NGC MS64RD  2800円。ヤフオクの落札相場の半値。
昭和45年NGC MS65RB 2600円。ヤフオクの落札相場の半値。
昭和45年NGC MS64RD 2600円。ヤフオクの落札相場の半値。
昭和40年50円 NGC MS65   2900円。これも格安でした。


最後まで売れ残っていたので購入しました。合計4,5回は低額品コーナーに行った。品物が時間によって追加される可能性が十分考えられること、明日になればまた変わるためだ。業者の後ろには未開封らしき段ボール箱が2箱ある。今日の分はそこまで出すのだ。以前の『収集』誌に商品は変更されるということを書かれていたのを読んだ。


これからどの業者からいくらのコインを購入し、状態はどうかなど検討します。無料鑑定コーナーで縁が丸い10円を見てもらいましたが「鋳造の段階で作られたものではなく、後から人工的に削り取ったものとしか考えられない」というような返事を頂きました。詳しい鑑定士の意見(複数)です。


会場の品川プリンスホテル メインタワー
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銀座コインの会長、コイン女子さんにもお会いするが勇気がなく、話せませんでした。特に1円と5円の平等院鳳凰堂の青銅貨についてお聞きしたかった。コイン女子さんにはTwitterでお世話になっているにもかかわらず通り過ぎてしまいましたが外国コインは図案が非常にきれいです。日本の貨幣とは比べ物になりません。非常に高く、主に5-8万程度のものが陳列されていました。すべてがスラブ入りでした。


やはり10万は必要です。持参金は。10円青銅貨の手変わりは中学生くらいしか集めていないと「収集」編集者には言われてしまいました。どのようにしてこの難解な手変わりを伝えるか難しいという問題を残してしまいました。「天声人語」は中学生で受験に出ました。この程度で解説してほしいなど。まずは、ホームページで紹介します。

S27 前期 めんどりor雌型鳳凰 Aaに類似1 落札

ヤフオクでは無事に昭和27年前期 Aaに類似1タイプ 鳳凰形状:めんどり 雌型鳳凰 を落札できました。PCGSのサイトよりシリアルナンバーを打ち込むととてもきれいな極印が読み取れます。製造時の傷などは見当たらず、銅の光沢も抜群です。スラブケースにも傷がなく到着が楽しみです。


もう一つ、昭和28年のPCGS MS64RD も終了したのですが製造時の傷があり、見送ることにしました。銅の光沢は私の所有するものと比べ優れています。シリアルナンバーを入れ確認しました。同じグレードでも当たり傷の有るものや銅の光沢に違いがあり個人差が出てきます。コイン商に行くとこのことがよく分かります。最もいいのは鑑定士の勧めるものですが高くて手が出ません。


後日、グレードの高いものに買い替えることを考慮し選択しました。泉友は良い状態のものと入れ替えるときは良くないものつまりグレード数字の低いものはヤフオクに出品して現金に換えてしまうということです。確かに同じ手変わりを複数枚持っていても自慢できません。東京オリンピックを控え慎重にしています。

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7/16 茨城貨幣研究会例会

参加してきました。近所のT氏より10円を頂いたのだがめぼしいものはありませんでした。どうもありがとうございます。

来月、業者が来られ即売されるということで52年Bbタイプ、55年Bdタイプ、59年Cbタイプ、H10Ciタイプ、H11Ciタイプがあれば買いたい。その他の稀少手変わり品も欲しいです。特に、H10Ciタイプ、H11Ciタイプはミントセットの中でしか存在を確認していません。

8/6「白熱!京成将棋まつり2017」開催案内

水戸京成百貨店9階イベントホールで「白熱!京成将棋まつり2017」開催案内が正式に決定しましたのでお知らせします。


「写真撮影会」 お手持ちのカメラで、浴衣姿の女流棋士と一緒に写真撮影をすることができますが1枚のみです。著作権法( 肖像権、パブリシテイ権)は関係ない。時間が問題です。なお、今回も動画撮影は禁止されています。これはYou Tubeなどの動画投稿サイトに許諾・無断にかかわらず投稿がされると連盟側の立場としてあまり好ましくないためだと思われます。


女流棋士にブログにアップしていいか許可をもらうのが常識です。

http://joryukishikai.shogi.or.jp/news/archives/keiseishogi-festa--017.html

ズーム機能で画面を拡大・縮小する(視覚サポート)

iPhone6s で貨幣を撮影するときはアプリを使わなくても大丈夫です。設定で可能です。明日、実験してみます。今までは22倍拡大鏡の上から撮影していましたがその必要はないことがようやく理解できました。マスターできますように。勉強不足です。My Pocketの画像アップロード方法、Wordの画像の張り付け方ほか。




「収集」誌が20冊届く

先日、ヤフオクから貨幣の収集・研究の専門誌である『収集』誌が到着しました。まだ、全部を読んだわけではありませんがパラパラと目を通してみたところ、きれいな文章で内容は深く書かれていました。一方で簡単に描かれた文章も掲載されています。


研究会でお世話になっている先生の文章にも目を通す。特に10円青銅貨の完未レアリテイーと銅貨のスラブ品に関する私見は参考になりました。喀龍先生の記事は非常に参考になります。『収集』誌の読者になることができコレクターの仲間入りを果たしました。


時間がなく選り銭ができません。

第1回 ミントミントオークションカタログが届く

今年からミントプラスより社名変更されたミントミントオークションよりカタログが届きました。7月10日から順次発送されると記載されておりこの速さに驚いています。やはり社長と顔見知りだからかなどと疑ってしまいます。手変わりについては良くお話してくださいました。


第1回ミントミントオークション
2017年8月6日(日)
東京駅丸の内南口前 KITTE.4階


現行10円の出品はありますが手変わりのものはありませんので見送りです。


それにしても異常に暑くなりました。今月休みを多く取ればよかった。

造幣局125年史

県立図書館に国立国会図書館デジタルコレクションのブースに行きましたが検索ワードに引っかからず大学図書館に寄り借りました。


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書信館出版株式会社、日本コインオークション主催のCCFオークションの出品物が掲載されました。

8/6(日) 京成将棋まつり

来月の6日(日)に水戸京成百貨店の9階イベントホールで”京成将棋まつり”が開催されます。


入場無料


【参加棋士】
郷田真隆九段
本田小百合女流三段(水戸出身)
室谷由紀女流二段
藤田綾女流初段
高浜愛子女流2級


日時:8月6日(日) 11時から16時ごろまで
会場:水戸京成百貨店 9階イベントホール


 
 

第9回オークション・ワールドの事前入札

第9回オークション・ワールドの事前入札が始まりました。10円未使用を狙っていますがこのグレードでは無理だと思います。その他数点入札しましたが高値更新されました。


暑くなりました。雨が一日中降ったりやんだりでした。熱中症に要注意です。

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