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現行10円青銅貨の手変わり(1) ギザ有

1.はじめに

 

昭和25年に製造開始の10円洋銀貨幣は、朝鮮戦争勃発によるニッケルの価格が急騰したために発行されず、翌26年、10円青銅貨幣が製造されることになった経緯については先月号で紹介させていただいた10円洋銀貨幣は一般に流通はされなかった。不発行貨とは形式(素材・品位・直径・模様)が決定し、法令によって公布されながら、発行されなかったものを呼んでいます。そのため、10円洋銀貨幣は不発行に終わった。

 

1951年(昭和26年)9月、第二次世界大戦の対日講和条約であるサンフランシスコ平和条約が調印された。また、昭和27年にはIMF(国際通貨基金)に加盟し、昭和28年には「円」の値は純金0.00246853gとなった。2815日頃、庶民の日常取引では補助貨幣を使わせる方針をとった。10円紙幣の回収は進んだが通貨流通量は減った。

 

1953年(昭和28年)1月5日、10円青銅貨の流通が始まった。貨幣は昭和26年末の10円青銅貨幣の制定により、1円、5円、10円の3種の円単位の貨幣がそろい、また、26年末には日本銀行券B50円券が発行された。

 

 今回は、現行銭の手変わりの定義と宇治平等院鳳凰堂の各部の名称について貨幣にするうえで実際とは異なるデザインになった点が見られることなど、各手変わりについて極印の変化に着目して自分なりにまとめてみたい。この文章では、「刻印」ではなく刻印と同じ意味を持つ「極印」という用語を使わせていただく。

 

ここでは、文献である鈴木和三郎著『日本の現行貨幣‐収集の手引き‐』内外貨幣研究会、2011年以降新たに発見された研究成果を踏まえ、手変わり最新情報として取りまとめ、広く公開することを目的としています。

 

 

2.デフォルメされた平等院鳳凰堂の貨幣のデザイン

 

『収集』20069月号、16頁で神吉先生は「十円青銅貨の平等院鳳凰堂は実物に忠実に描かれているように見えて、実は細部ではかなりデザイン化かつ省略化されており、実際の平等院鳳凰堂とは微妙に形状が異なっている。」また、松尾『日本のお金-近代通貨ハンドブック‐』によると、「貨幣デザインの原案は、造幣局の工芸官の手によって作られる。貨幣デザインを作成するにあたり、美術的側面と工業生産における機械的な精度や偽造防止対策などの技術的側面を合わせて、両者のバランスを勘案しながら、貨幣として最も優れたデザインを原案として作成する。」と説明されています。

 

宇治平等院鳳凰堂鳳ミュージアム学芸員によると、「立体的なものをデフォルメして平面に彫刻しているのでわかりにくい」と言われています。例えば、芸術作品を目指した“木彫り熊“と呼ばれる北海道の定番土産がこれに該当し、熊彫り発達史の中、日本画家が指導し芸術性が加味され、彫刻家も加わり彫り方の研究もされた。

 

 

●現行10円青銅貨の基になった昭和大修理前の本当の姿(宇治平等院鳳凰堂)

現在までこの図案が使われ続けています。しかし、手変わりと呼ばれる微細に異なった図案が使われています。

 

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「造幣局125年史」35頁では、昭和60年の国際科学博覧会のデザインを公募する際に、「貨幣模様として採用する場合には修正を加えることがある」ということから、貨幣にするうえで不適切と思われる個所は別なデザインにするという内容が書かれていたので造幣局の工芸官があえて図案を変更していることが分かります。それと同じ理由で宇治平等院鳳凰堂も様々な箇所で省略されています。

 

 

3.手変わりの定義

手変わりとは、同じ貨幣でありながら、デザインや書体の細部に微妙な違いがあることを意味します。「鳳凰の足の長さの違い」「国の文字形状の違い」「日本国の文字の太さの違い」など、様々な手変わりがあり、コレクター独自による研究が進んでいます。「貨幣の評価ポイント」では、「状態の良さ」「稀少性」「人気のデザイン」が重視される。

 

ギザ十はあくまで「古いタイプの10円硬貨」という意味で、完全未使用品でない限り、すべてのギザ10にプレミアムが付くことはありません(竹内俊夫「お宝貨幣なんでも読本」講談社、2013年、128頁)。

 

つまり、種類の異なる極印で撃たれたものを指します。別名「変種コイン」とも言います。①政策上の仕様変更、②デザインの変更、③極印の製造過程で発生したデザインの変化 などが挙げられます。現行貨幣の手変わりの定義が研究者によって様々であることが複雑にしています。「手変わり用語の基礎知識」を要約すると、年号別収集が完成したらそれで終わりというわけではなく、こうした奥の深い楽しみ方もあるわけです。ただし、贋造対策や技術上の理由によるところが大きく、稀少手変わりにプレミアムを付けて店頭販売することは収集界独自のものです。個人的には極端に高値で販売されることは望んでいません。収集家一人一人が自分の満足する方法で集められることが一番いいわけです。

 

現行コインの年号別収集で満足することもいいかもしれませんが今は10円青銅貨の手変わり別収集が一般のコレクターの間では盛んです。特に初心者たとえば中学生などこれから貨幣収集を始められる方にお勧めしたいジャンルです。状態、グレード、スラブ入りコイン、銅貨の光沢の割合や、ネット販売やオークションでは鑑定書の証明書番号を入れて照合・確認したりするなどして、写真の写り具合など様々な要因で一枚の価格が違ってきます。あらゆる銅貨に該当するので良い材料といえます。筆者が小学生だった昭和48年頃は手変わりという概念はありませんでした。聞いたことがありません。おそらく近所の百貨店では近代銭に手変わり表示されることがなくブームが去ってしまったのでしょう。

4.基本的な分類方法は宇治平等院鳳凰堂の図案のみに着目しました

基本的な分類に関する考え方や語句の使用法に関しては神吉廣純先生の『日本貨幣カタログ1994・特集』、『収集』20069月号、20127月号にできる限り準拠するように努めた。そのため宇治平等院鳳凰堂の図案に着目して分類しました。明らかに誤植だと思われる点は自分なりに改良した部分もあります。平成以降は、鈴木和三郎先生の『日本の現行貨幣‐収集の手引き‐』2011年に従ったところが多い

なお、鳳凰形状の違いは次に紹介する27年前期と後期だけにして、その他の年号に見られる鳳凰の足の太さ、細さ、眼の違い、唐草模様などについては割愛しました。あまり細かく分類すると何倍までが許容範囲なのかなど混乱を極める恐れがあるためです。神吉、鈴木両先生の良いところを取り入れ、良くないところは除外しました。

5.文字の太さ、幅の違いは手変わり分類にふさわしくない

2012年10月に『収集』より神吉先生の文章をFAXで送っていただいた。その内容はほぼ次のようであった。ただし、文字や幅の違いは極印使用途中の研磨作業等によって変わってくることなので、太さや幅の違いで別種と分類するのは良くありません。また、銀貨用に製作された10円青銅貨の宇治平等院鳳凰堂のような繊細な図案は流通したものでは傷などによって図案が変形したり鮮明でなくなったりすることが多く見られるため、並品で手変わり分類することは適当ではありません。仮に、神吉先生だったらこのように分類するであろうという分類方法にしました。

最も、「造幣局125年史」には、昭和61年度に極印印面の機械研磨の技術改良がされ今まで手作業しかできなかった極印表面の模様や文字の肌部分の研磨を、特殊研磨剤とともに遠心式バレル研磨機を用いることにより、極印全体を研磨できるようになると書かれているためコンピュータで製造され始めたことが分かります。

もちろん、その他にもコレクター独自の手変わり分類がされてもいいと思う。この分類方法は筆者の分類方法だとこのようになるという一つの指針を示しただけに過ぎない。近年、数年前までは手変わり表示されてはいなかったが銀座コインオークション、ミントプラスオークション、泰星コインオークションなど手変わり表示されて出品されているものを見かけるようになった。手変わり表示されると基本的に価格は高値になります。従って手変わり表示されても評価は変わってほしくありません。

 

6.大手オークションや店頭販売でも手変わり表示されているのを見かけるようになる

 

10円の手変わりは大手のオークションサイトにも常にみられるようになったジャンルです。ここ4年くらいになると思う。どの分類方法が正しいのか指針がないに等しいためコレクションに悩むと思われる。20161113日(日)、東京大手町で行われた催事(第14回東京コインショー)に訪れた際に、業者の店頭にも手変わり表示され高値で販売されているのを初めて見かけた。その時は昭和56年前期後期の未使用品が2枚で2000円の高値で店頭販売されていた。これらはありきたりに見られる手変わり品で珍しいものではありません。勉強次第ではこうした手変わり品を一般市場で通常価格で見つけることができます。稀少価値の高い手変わり品も見つけられるというわけです。コイン商でミントセットにしか見つからない平成11年Ciタイプを見つけた時の快感は今でも覚えています。今までも昭和27年前期後期、昭和56年前期後期の区別はコインホルダーに手変わり表示されていましたが価格差に違いはありませんでした。

 

7.10円青銅貨の平等院鳳凰堂の部位の名称および説明

 

●平等院鳳凰堂

 

 京都府宇治川のほとりにある。古くは源(みなもとの)融(とおる)の別荘であったが、後に藤原道長を経て頼道(よりみち)に伝えられ、末法に入ったとされる1052(永承7年)に頼道は天台系の寺として平等院を開き、翌年に定朝作の阿弥陀如来像を建立した。これが今日の鳳凰堂です。

 

 鈴木和三郎先生は翼楼という部位名称を用いていますが、翼廊(よくろう)が正しい呼び名です。実物は翼廊・尾廊を持ちその姿は池に映り、東面しているので、西に向かって極楽浄土を拝する形になる。鳳凰堂のいわれはその形が鳳凰に似ているとも、阿弥陀堂の棟に鳳凰が対で乗っていることにあるともいわれる。

 

中堂は基壇上に立ち、低い床を持つのが特徴である。一重で裳階(もこし)がつく。翼廊では二重虹梁蟇股が観察できる。我が国の寺院の最高傑作である。(濱島正士 監修 青木義脩 編集・執筆「文化財探訪クラブ3 寺院建築」山川出版社、2000年、110頁)。

 

 

 彰国社『建築大辞典』によると、「1053年完成供養。3間×2間の中堂、8間×1間の両翼楼、7間×1間の尾廊から成る。中堂は高さ12.7mの入母屋造りの楼造りで定朝作の丈六阿弥陀如来像を安置し、平安時代の絵画・彫刻・工芸の粋を尽くす。本瓦葺。」と記載されています。

 

 

8.鳳凰

 

●文化財を守る宝物収蔵庫

 

昭和期になると、昭和25年に鳳凰堂の荒廃を危惧する人々の尽力で、昭和の修理が始まった。修理は7か年に及ぶ解体修理で、鳳凰堂の修理はほぼ昭和31年暮れには完了した。          

昭和32319日より3日間、修理観光を祝う落慶供養が各宗派の僧侶出仕の下で挙行された。修理完工当時は、ようやくわが国の経済・社会も安定し始め、人々の心にも古社寺を訪れ、心の安らぎを求める余裕が生まれてきた時期であった。平等院は新たに観光寺院としてスタートを切ったのである。

他方、修理完了後も境内の整備は続行され、また新たに保存維持のための事業が寺独自で進められていった。

 

当時問題となってきた公害から文化財を守るために、宝物収蔵庫の建設が計画され、鳳凰堂の八面の扉絵、屋上の鳳凰、そして梵鐘の模造を造ることになる。

 

昭和405月に除湿保温の設備を備えた収蔵庫(宝物館)が竣工し、鳳凰堂の現状変更による鳳凰が専門家の指導の中で進められていった。また当時ようやく問題となった公害状況の中で、屋上鳳凰と梵鐘の保管のために復元模造の仕事が専門家の指導により行われた。

 

昭和431225日に新造の鳳凰が屋上に飾られ、昭和4711月に一対の鳳凰などが収蔵庫に収められ、翌48年より、収蔵庫を宝物館と改め、春秋二回一般公開がなされるようになった。

 

●平成の大改修

 

平成13年(2001年)3月に竣工した新宝物館「鳳翔館」は、国宝・重要文化財の収蔵環境の改善と、先端技術を導入した登録博物館としての資格を持った保存体制が整備された。

 

高さ8.5メートル、地下一階、地上一階の建物で、外観は、史跡名勝庭園の景観と調和のとれた洋風建築で、内部には、鳳凰、梵鐘、雲中供養菩薩像二十六躰のほか、庭園より出土した鬼瓦や軒瓦、院内二か所の仏像や、古図や古文書類を展示するとともに、超高精細画像で、国宝を詳細に観察でき、コンピュータグラフィックスによる復元映像も展示されている。(山本敦「魅惑の仏像 阿弥陀如来」毎日新聞社、2001年、85頁)。

 

●鳳凰

 

鳳凰 めんどり(鳩型鳳凰)/おんどり(鶏型鳳凰) □で囲んだ部分

 

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現在の鳳凰堂の屋根上の鳳凰は2代目となります。鳳翔館で収蔵展示しておりますのは、国宝に指定されている創建時の鳳凰です。昭和修理後の昭和40年代に大気汚染の危険から守るために降ろされました。その代わりに屋根上に上がったのが、現在の2代目鳳凰です。まったく同じ大きさ形をしています。その2代目鳳凰が鍍金をされて金色となっています。

 

10円硬貨の鳳凰堂は昭和修理前の姿をしていますので、屋根上にはオリジナルの国宝鳳凰が描かれています。

 

秋山光行ほか『平等院大観 建築1』によると、「鳳凰は想像上の鳥で、しかも最高位の鳥である。鳳凰像のある宇治の平等院は、永承7年(1052)に関白・藤原頼道により寺が開かれ、翌年に阿弥陀如来を納める阿弥陀堂(別名「鳳凰堂」)として建立されたものである。現在は国宝として、また世界遺産にも指定されている貴重な歴史的建造物で、鳳凰像の現物(屋根の上についていた「初代 鳳凰」は、屋外で風雨に曝されると昭和修理後の昭和40年代に公害物質で金属が腐食する恐れがあるため、国宝の文化財として青銅色のままで国宝に指定されている創建時の鳳凰が鳳翔館に収蔵展示されており、建物の屋根にある一対の鳳凰像は2014年に修復されたレプリカで、銅製の金メッキされたもの(二代目 鳳凰)であるため、黄金色に輝いている。」と述べられています。

 

鳳凰についても古代の中国から聖人とともにこの世にあらわれた雌雄一対の霊長で、雄を「鳳」、雌を「凰」と呼び、この想像上の鳥は梧桐(ごとう)もしくは(青桐)と呼ばれる木に棲み、醴泉(れいせん)の甘い水を飲み、竹の実を食べるという。五色の羽を持ち、その鳴き声は五音の妙なるもので、すべての鳥の王者として尊ばれている。その姿は、頭前方は、雄の麒麟(きりん)、後方は鹿、首は蛇、尾は魚、背中は亀の甲羅、顎は燕(つばめ)、嘴(くちばし)は鶏(にわとり)、尾は孔雀に似た鳥で、龍と同様に天子を美化し、あるいはおめでたい時に使用される(植村 峻「紙幣肖像の近現代史」吉川弘文館、2015年、42頁)。

 

 

9.平等院鳳凰堂面極印の解説

 

※ Aaに類似1タイプ(型) 昭和26年~27年前期

 

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「前期」 めんどり(短尾) or 鳩型鳳凰

 

 

まず、「ギザ有」の十円で前期のものを説明します。『日本貨幣カタログ』では028になっています。これをAaに類似1タイプと呼ぶことにします。ギザ有はエッジにギザが刻まれていて昭和34年以降のプレーン・エッジのものには別の貨幣カタログ番号02‐9が付けられています。カタログ上は別な貨幣として扱われます。

 

この手変わりは、鳳凰形状の違いに着目したものです。これは日本銀行調査局編『図録 日本の貨幣9』東洋経済新報社、1975年、272頁に記載されているため手変わり分類に入れました。それによると、「なお、肉眼では識別が難しいが、表面の屋根の両端にある鳳凰の尾は、当初製造分では垂れ下がっていなかったが、27年後半製造分から現在の形に改められた。」と記載されたのが初めての文献になります。さらに、郡司勇夫編の『日本貨幣図鑑』東洋経済新報社、1981年の295頁に10円銅貨の解説があり、「表面鳳凰堂の屋根の両端にある鳳凰の尾翼の形が実際と異なっているのが発行後問題となり、記年昭和27年の後半製造分から原型が修正された」と述べられています。つまり、昭和26年に新発行になった10円貨幣すべてと昭和27年前期の尾の形は間違いで昭和27年後期の発行分から正しい尾の形になるわけです。筆者が大学生の頃、昭和26年銘と昭和27年後期の尾の拡大画像を掲載されている冊子を全員に配布されたことで具体的な場所も分かったわけです。今から32年前に年号別コインアルバムの空欄に昭和27年前期と後期と書いたシールを張り2枚一緒に集めていたことを思い出して懐かしい。現在、10円の手変わり収集をする原因でもあり、そのことが初めて10円の手変わりと出会ったきっかけになるとは思いませんでした。もう一つは近所の公立図書館に寄った際に「日本貨幣カタログ」に昭和61年前期後期の図と説明が書かれていたことです。それ以来、昭和61年を見つけると前期だとか選り銭を始めることになりました。15倍や22倍の拡大鏡を揃えました。流通貨からの後期の存在率など調査するのが至福の時です。後期の未使用は入手できないのでPCGS MS64RDをヤフオクから落札したりしました。スラブ入りで同じ状態のものを2枚所有しています。

 

10.大量の10円青銅貨を集める方法

地元の研究会に行くと、どのようにして10円硬貨を集めているのかの質問がありましたので紹介します。10円青銅貨を大量に入手する方法として金融機関を利用しています。出金が無料の金融機関を使っています。金種指定をして出金をします。枚数制限はありません。ただし、損貨つまり、重量の違いやギザ十などで痛みの激しいものやエラー貨幣は機械ではじき出され日本銀行へ返却されるということです。そこの金融機関では当然ですが損貨は渡してもらえませんでした。そのことから自動販売機のほうがギザ十などコレクター向きの貨幣に出会える可能性が高いといえます。筆者は同じ自動販売機は10円青銅貨を10枚入れ、3回だけにしています。地元の眼もあるし、変な目で見られているかもしれない。そのため、自動販売機は最近では全く使っていません。

今までは地元の大きな地方銀行を利用していましたが有料になり今のところは無料の金融機関を使わせて頂いています。

 

11.枝氏より頂いた冊子 PDFファイルでないのではっきりしません。ご了承ください。「culture」

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 近代貨幣手変わり研究会会長の枝重夫氏によると『ボナンザ』誌19巻5号1982年に手変わり集66に短い尾を「前期」とするめんどり、長い尾を「後期」とするおんどりの論文を発表されました。昭和26年銘すべてと27年前半に製造された貨幣を短い尾として「めんどり」と称し、「前期」。昭和27年後半に製造された貨幣は実物に近く長い尾に修正されているため、「おんどり」と称し、「後期」とする。一方、神吉廣純先生は「前期」を鳩型鳳凰、「後期」を鶏型鳳凰という名称を付けられています。そのため「前期(短尾)」をめんどりor鳩型鳳凰と呼びます。なお、このほか首が長くなり起きていることも変更になった点です。そして、昭和28年以降鳳凰の形状はすべて「後期」になっています。枝氏の調査によると、同じくらいの割合で発見されている。 筆者の調査によると、やや「後期」のほうが多い。いずれにせよ存在率に極端な差が出ていないためプレミアムは付かない。最近、銀座コインの「入札誌」銀座、レトロコインをはじめ極印分類され手変わり区分がされ始めた。

 

 

 Aaに類似2タイプ(型) 昭和27年後期、2829303233

 

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「後期」 おんどり(長尾)or 鶏型鳳凰

 

 

 

次に、昭和27年後期から極印が鶏型鳳凰のおんどりに変更されました。そしてこのAaに類似2タイプ33年まで続くことになります。『日本貨幣カタログ』では028になっています。『日本貨幣カタログ1994 特集』1993年、285によると、「ギザ有の10円青銅貨には屋根の上の鳳凰に大小があります。小さいほうが26年型、大きいほうが28年型です。」と説明されています。本貨幣は28年型のものです。「後期(長尾)」をおんどりor鶏型鳳凰と呼んでいます。前期と後期の違いはAaに類似1タイプで詳細に述べました。orは「もしくは」と呼び代えてください。各自の好みに合わせて手変わり名称を付けてみるのも面白い集め方です。

 

両方とも鳳凰の形状のみで判断できる分かりやすい局所変化(単独手変わり)です。

 

本貨の交換は極めて順調で日本銀行は十円銀行券を発行後23か月の昭和3041日、支払い停止とすることができたのである。かくて十円以下を補助貨とする通貨体制がようやく成るに至ったのである。

 

12.試鋳貨 1円青銅貨、5円青銅貨

 

昭和26年銘の試鋳貨に1円青銅貨と5円青銅貨のものがあります。第28回銀座コインオークションに出品されているLot.9225円青銅貨の試鋳貨を下見させていただいたがエッジにギザはなかったと記憶している。図案は10円青銅貨と同じ宇治平等院鳳凰堂「前期」めんどり(短い尾) 鳩型鳳凰でした。当時の最高貨幣はギザ有10円青銅貨幣だったことが分かります。なぜ造幣局はこの貨幣を製造したのだろうか。

この試鋳貨の年銘である昭和26年という年は、昭和25625日に勃発した朝鮮戦争の影響で、製造中だった十円洋銀貨がニッケル相場高騰のため不発行となり、新たに十円青銅貨が造られ始めた年である。朝鮮戦争が長引き日本が有利になることを期待して作られたとも考えられる。『収集』誌20078月号で神吉先生が「現行5円アルミ打ち試鋳貨について」で発表されているので興味のある方は読んでもらいたい。仮に朝鮮戦争による影響が大きく長引き材質まで変更するようになると5円アルミ打ち試鋳貨となり、日本経済に大きなプラスとなる要因が大きければ青銅に材質変更しても良いと当時の造幣局は考えたのではないだろうか。昭和27年に朝鮮特需があったことをみると歴史や時代背景などからそのように言えるだろう。

 

過去に5円青銅貨は出品されたことがありますが銀座コインの「名貨コレクション卓上カレンダー」にも使われたほどで「日本貨幣カタログ」にも掲載されておらずとても貴重なものといえる。この5円試鋳貨は現行の10円青銅貨の4.50gよりも一回り軽く、直径も小さい。この貨幣が520万もの高値で落札されました。驚愕の価格です。参考価格(下値)が40万円でした。

 

追記 下見の際、縁(エッジ)にギザはありませんでした。やはり当時の最高額面の貨幣はギザ有10円だったということが分かります。

 

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 Lot922 試鋳貨 3.13g プルーフ5円青銅貨幣 (第28回 銀座コインオークション現品)

 

13.最後に

 

現行10円青銅貨の手変わりは通常貨・プルーフともに多くの年銘に見ることができます。これからも徐々に掲載していくつもりです。また、収集人口が主に初心者と考えられることから容易な文章で記述しようと考えています。

多くのコレクターや貨幣商に公開されるため稀少価値の非常に高いものや現品未確認のものなどは今後店頭販売されたりオークションに出品されるようになるかもしれないのでどちらの立場に立ってもいい条件だと思う。これをきっかけに手変わりブームの到来を期待したい。手変わり表示されて若干高値になっても稀少性が極めて高いため未使用状態での入手は困難と思えるがそれでも欲しくなる貨幣はいくつかあります。コイン業者の手変わり分類表記により解消されるといい。

貴重なプルーフ貨幣5円青銅貨を見せてくださった()銀座コイン代表取締役 竹内祐司氏には感謝をしきれない。同時に店頭に持参して鑑定依頼をしていただいた昭和59年Cbタイプの貨幣は鑑定の結果、本物であることが確認されました。この超稀少手変わり品の未使用を見つけた時は知らせて欲しいと尋ねると断られましたので皆はかなり高価なコレクションをされているということが分かりました。また、(有)寺島コイン、手変わり分類および比較・参考にさせていただいたコインショップ隆泉ほかヤフオクでお世話になった方ほかに感謝の意を表します。

 

(つづく)

 

主要参考文献

 

秋山光行ほか編『平等院大観 建築1』岩波書店、1988年。

山本敦『魅惑の仏像 阿弥陀如来』毎日新聞社、2001年、85頁。

 

青木 義脩著、浜島 正士監修『文化財探訪クラブ3 寺院建築』山川出版社、2000年、110頁。

彰国社『建築大辞典』1993年、1301頁。

 

植村 峻『紙幣肖像の近現代史』吉川弘文館 2015年。

 

松尾良彦監修『日本のお金-近代通貨ハンドブック』大蔵省造幣局、1994年、199頁。

竹内俊夫『お宝貨幣 なんでも読本』講談社、2013年。

枝 重夫「現行10円昭和27年前期と後期について」『ボナンザ』19巻5号1982年。

 

亀谷 正嗣編『日本の近代銀貨‐第1部 一円銀貨‐』書信館出版株式会社、2003年。

亀谷 正嗣編『日本の近代銀貨‐第2部 50銭銀貨‐」書信館出版株式会社、2008年。

 

日本銀行調査局編『図録日本の貨幣9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年。

郡司 勇夫編『日本貨幣図鑑」東洋経済新報社、1981年。

 

鈴木和三郎著『日本の現行貨幣‐収集の手引き‐』内外貨幣研究会、2011年。

鈴木和三郎「10円の手変わり」http://chigasakiws.web.fc2.com/10teg01.html

 

書信館出版株式会社『収集』20069月号、1419頁。

書信館出版株式会社『収集』20127月号、1014頁。

 

『キュリオマガジン』フジホールデイング、20175月号、22頁。

『造幣局125年史』大蔵省造幣局、1997年。

 

日本貨幣商協同組合『日本貨幣カタログ1994 特集』、1993年、285頁。

日本貨幣商協同組合『日本貨幣カタログ20172016年。

 

「手変わり用語の基礎知識」http://www.d4.dion.ne.jp/~s-sousai/coin/tegawari/index.htm

 

ミントプラス・オークションカタログ

銀座コインオークション・カタログ

 

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コメント

莫大な資料の分析・そして理解した上での発表ありがとうございます。
楽しみにしております。ゆっくりと発表してください、おねがいします。

5円玉コレクター様

手変わりのご理解ありがとうございます。より平易な文章で書くことにします。また時間のある時にWordで記述し、メモをして作成します。

昭和26年以降は毎年拡大画像を使いながら親切に説明しようかなとも考えています。

十円青銅貨の各部の名称を付ける際にアプリを使いながら画像に説明を入れていくのが面倒です。

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