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経済再建安定計画(ドッジ・ライン)以降の財政

昭和24年度の財政はドッジ公使の指示による総合収支の均衡で計画され、

この計画の中で戦後の国民生活、経済復興の強力な支持となっていたアメリカの援助物資の売却資金を経済再建に効果的に振り向けるための対日援助見返資金が設けられた。またインフレ経済の終始を前提として、1ドル=360円の単位為替レートが設定され、世界経済体制への復帰の方向が定められた。予算規模は7,047億円となり、国民負担軽減の期待は見送られた。この大規模予算にはドッジ公使が指摘した竹馬の2本足の一つである価格調整費2,022億円が計上され、終戦処理費1,252億円をはるかにしのぐ大きな費目であった。

 

 総合収支均衡の計画は多くの政府事業で収入確保と経費節約を求め、料金等の引上げと人員整理を含む活動圧縮が行われた。この政府部門の事業整理と同じく、それまでインフレ経済の中で業態を拡大してきた民間企業にも整理緊縮の圧力が加わり、23年度までの経済運営は180度転換して、経済安定を第1とする方向に替わった。戦後の復興過程で企業の設備資金を供給してきた復興金融金庫の機能は止められた。

 

 減税計画が取りやめになったので24年度の国民負担は戦時の水準をも超える率となったが、この負担軽減と税制の全面的検討のためにシャウプ使節団が派遣されてきた。実施調査も加えた精力的な検討研究による報告書が24年9月に提出され、その勧告は一部を除いて25年から実施された。直接税中心の租税体系をとり、所得税のほかに富裕税を設け、生涯獲得資産を対象とする高租税の相続税に改め、法人犠牲説に立つ定率一本の法人税を定めた。この理論的扱いとともに、現実対処を配慮して、所得税の最高税率を55%に止め、申告納税制度に細かな措置を加えた。また地方財政の確立に力を入れ、それぞれの団体に即して独立税を設け、地方経費と地方収入との調整方法として、地方財政平衡交付金を採用した。地方税においても資産課税が重視された。勧告によって国民負担は多少軽減したが、大衆負担は依然として重いままに残された。

 

 25年6月に起こった朝鮮動乱は安定計画下にあった日本経済に大きな活動刺激を加えた。経済は多少の混乱を受け、変動の波も大きかったが、安定成長の経済は拡大成長に転じ、国民の所得も増大して財政規模の急増大が避けられたことも幸いして、その後毎年負担軽減に結び付く減税が実施された。この間、動乱を機に警察予備隊の設置が指示され、講和発行後の国土防衛の任務を背負って、その存在は定着し、財政支出の中でも防衛費として相当の比率を占めるようになった。27年4月の講和条約発効に即して、占領政策下で抑制されていた諸施策が加わって財政規模は多少増大したが、国民負担の実質軽減を阻むことはできなかった。しかし、講和発行によって米国の経済援助は止まり、その条件で自立経済を進めなければならなかったので、国際収支の均衡確保を第1とすることから、1兆円予算として特徴づけられる緊縮財政が29年度から始められ、大規模減税も後退した。

 

(肥後和夫編「財政学要論 第4版」有斐閣双書、1993年、305307頁)

 

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